京都のいろいろ行きたいところへの下調べをしていたらいよいよ住みたくなってしまった。昔はともだちが京都にすみたいといっていたり大学も京都にいくひとが多かったりしてもそんなに興味なかったのに京都に学園祭やらででかけてから気持ちがかわってきた。それも、京都らしいところに行ったわけじゃないのに。福井とはまたちがう住みやすそうなかんじやそれでいて街にはたくさんいいおみせもあって大阪にも近くてとかいろいろひかれる要素はたくさんある。問題は暑くて寒いことくらい。おじいちゃんの納骨に来年、京都のお寺にいかなきゃいけないらしくて春の桜がさくころに予定してるらしくついていくことにした。おじいちゃんの故郷は淡路島でそちらにもついていく気でいる。小学一年生の頃にも一度、おばさんたちについて行って淡路島に何日か滞在したことがある。家族が誰もいかないのにあの頃のわたしは人見知りもせず誰にもついていった(何年後かに初対面の親族たちにもひとりでついてって一緒に能登に旅行にいったこともある)。おじいちゃんの昔の家は木でできてものすごく古いのに冷蔵庫があって中にビールがはいってるのが不自然だったこと、公民館に泊まってごはんに海藻サラダがでてきたこと、やたらシャーベットがでてきたこと、ほしえびがおいしったこと、いかだにのったらたこがうようよいたこと、しらないおにいちゃんと散歩したこと、観音様の鼻のところから街並をのぞいたこと、黄色い飴の感じとかを覚えている。どこから勘違いしていたのか、おじいちゃんは愛人の子で生涯孤独のようなひとなのかと思っていたけどそうでなかったことがお葬式でわかった。愛人の子とかでもまったくなかった。なんでそう思ってたのかもわからない。それで、お葬式には予想以上に淡路島からも他の県からも親族以外にもたくさんのひとがきてなにかほっとしていた。兄弟もいた。淡路島もとてもいいところの印象がある。あのころはフェリーでしかいけなかったけど今は道がつながってるらしい。またあの場所に一度いきたいと思ってたからとても楽しみ。髪の毛、たぶんショートにする。わかんないけどやっぱり夏と冬は帽子かぶりたいし。おとうさんの両親は昔、帽子屋を営んでいたらしい。その要素がもしかしてどっかであるのかなと勝手に思ったりする。

PUFFYラブーシュカのCMが流れてて歌つくったのが吉井さんだと聞いてて気になってたのによくききとれなかった。くちびるポーションって曲。

くもり。毎年来月くらいからスカパーではフェス特集とかそんなのがいろいろ流れるけど今年は契約さえしなさそう。基本料金のみ。吉井さんがでるのはちょっとみたいけどなあ、なんか今までのように見たい!ってのがない。フェスに行きたいと思ってたのっていつのころだろうと思うくらい前の話になってる。LINKでないしスパルタもでないしな。もうスカパー解約してもいいな。映画とかもみないし。今月のようにたまにLINKとかでるときのための保険のようなものになりつつある。日々の通勤の行き帰りにまだまだなれないのか土日はだるくて仕方ない。来月にはいそがしくうごきだすのに大丈夫なんかな。それか、逆に休みをつくらないほうがなにかをごまかせてうごけるのだろうか。夜中3、4時まで休みの日に起きていてしまうことが問題なのかもだけど。

ごはんはさほどたべてないのにおかしを尋常じゃないくらいたべている。おとうさんがおかき16袋とか買ってきたので。逆効果?まあ土日だけはいいでしょ。っていって明日からもたべそう。せみのような鳴き声もして夏が近づいてる感じがする。梅雨はあけてないが。それでもなにか夏下旬の空気みたいであの真夏がくる感じはしない。飛び越してきちゃったようなそんな感じ。

写真教室、もういかんでもいなあという気持ちになってきたカメラ日和をみていたら。なんていうかならえばならうほどこうしなきゃいけないというのにがんじがらめになって自由な写真が撮れなくなってきているような気がして。いい写真を撮りたいなあというのはあるけどコンクールとかで賞をとるような写真じゃなくてやっぱり自分が満足するような写真を撮りたいと思うから。心配なのはやめるとならってきたものをすべて忘れていきそうなことと一眼レフを使わなくなりそうなこと。おじいちゃんのカメラもまだ一度も撮ってない。十月まで考えよう。